第3回の今回は、3日目についてです。UNICEFの加藤正寛さんのお話を聞き、その後プノンペン郊外のタケオという田舎町を訪問をしてきました。
タケオでの宿は個人経営の小さな宿で、現地の高校生と交流できたりするなど、温もりと笑顔が溢れるまた行きたいと思える宿でした。夜にでてきたマンゴーも最高においしかったですし、夜にみんなでUNOをしたことも懐かしく思い出せます。
そんな3日目の様子をどうぞお読みください!
5,レポート(3日目)
加藤さんは福島県会津若松市出身で、面会時はUNICEF(国連児童基金)カンボジア支部での勤務を終え、6月からUNICEFニューヨーク本部に勤務することが決まっています。加藤さんのこれまでの歩みを聞いた後に、私たちはUNICEFのことや国連職員に関して一人ずつ質問をさせて頂く形で面会を行いました。
Q:UNICEFのプログラムは基本的に5年スパンで考えられている一方で、任期は2、3年であることによって、次の職員への引き継ぎや一貫性のもった計画の実施などが上手くいかないということはないのか?
A:確かにその可能性は否めず、常に目標に対して脱線しないように繰り返し事業の確認が行われている。UNICEFは基本的に政府のサポートに回るというスタンスで、政府と協力しながら目標の実現を目指し活動している。
Q:援助国の中で特徴のある要求はあるのか?
A:圧倒的に日本。日本は他の国々に比べて、事業の内容よりも数値による具体性を求めるほか、スウェーデンなどが他国と協力して多額の資金でより内容のある支援をする一方、日本は単独で支援したがる傾向にある。これは日本人の国民性として、目に見え易い結果を重視する傾向にあるからであるように思えるが、その意識の持ち方を変えることこそが、メディア・政府の役割のひとつではないか。
【プノンペンからタケオ州に移動して】
プノンペンはカンボジアの首都として車の交通量は多いし、道路の両脇には建物がびっしりと並んでいましたが、一転タケオに向かうにつれて建物は少なくなり、代わりに雨季の遅れで乾燥した田園が延々と続く道へと変わっていきました。水源らしきものは見つからず人々だけでなく水牛といった動物たちまでも雨季の到来を待ち望んでいるようでした。タケオの中心地はプノンペンほどではなかったものの建物が密集しており、大きな町という印象を受けましたが、プノンペンと大きく違うのは農業を中心として成り立っている町ということでした。日が沈めば街灯の光や家屋の電気はほとんどなく、満天の星空に見入ったタケオの町では、カンボジアの原風景を見た気がしました。
【health district視察】
タケオに到着して向かったのは、伴場さんが当時かかわっていたAngroka Referral Hospitalです。院内に入ってみると冷房器具は一切設置されておらず、ゆえに窓や扉を常に開放しているために砂がフロアを覆っている状況を見て、日本との医療環境の天と地ほどの差に言葉を失うしかありませんでした。しかし、そんな病院でもカンボジアの中では設備の整っている方の病院であるそうで、実際多くの患者さんが入院し、生まれたばかりの赤ちゃんがいる様子などを見ると、地域の人々からは信頼されている病院であるということが認識できました。開発が進む中で中々進展しないカンボジアの医療をまざまざと見せつけられ、一刻も早い医療設備の整備が必要であると痛感させられました