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【インターン生の活動報告】_Part2

こんにちは♪今回も前回に引き続き福島大学インターン生の熊谷が投稿します。
今回の記事は、土曜日に行った南相馬の様子と個人的に感じたことをお伝えできたらと思います。
Bridge for Fukushimaのボランティアでもありツアーで語り部としていつも話してくださる久米さんに相馬市にある相馬基地から南相馬市の小高地区まで案内してもらいました。
率直な感想としては、南相馬市は地区によってがれき撤去のスピードにバラつきを感じたことと、改めて津波の恐ろしさを思い出してしまいました。
南相馬市の鹿島地区、原町地区はガレキがほとんど撤去されていて、何もない姿となっていました。また、案内してくれた久米さんは
「今は、何にもないけど、震災前はたくさんの家が並んでいたんだよ。」
と言っていて、自分はさびしい気持ちになりました。その家があった場所に住んでいた人は、このガレキが撤去された場所に、もう住みたくないと思うのだろうなと思いました。
そのあとに見た、小高地区に私は衝撃的な印象を受けました。
小高地区は昨年の4月16日に計画的避難解除区域となり、寝泊まりはできないが、一般の人でも自由に出入りできるようになりました。ですが、ライフライン、水道水の普及が7割以上進んでいないというのが現状です。同様に、がれき撤去も進んでおらず、完了するのは二年以上の月日が必要になる見通しです。
私が見た小高地区は、他の二つの地域と比べて、がれき、解体工事のしていない家がたくさん見られました。およそ二年前に起きた東日本大震災直後の時間に戻された、そんな気分でした。車の中から見える家はどれも、モノが残っているのに生活感が全く感じられませんでした。小高以外では、車にもたくさんすれ違ったのに、小高では一台もすれ違うことがありませんでした。人がいる気配がないこと、それがこんなに怖いことだと初めて知りました。
そんな小高地区の高台から見えた海がきれいだけど、怖い。自分には、何か矛盾をかかえたものに見えました。海は青くとてもきれいだけど、白波が立つことを見ると恐ろしさを感じました。
久米さんは、
「津波は実際に見てないから、怖さとか恐ろしさはないんだけど、放射線量は数値で高い数値を見ているからとっても怖い」
と言っていました。久米さんは、もともと小高地区に住んでいたのですが、今は相馬市に住んでいます。自分は今、福島市に住んでいますが、相馬市に住んでいる久米さんが放射線に対して徹底したケアを行っているのを見ました。自分が、当たり前に生活している福島市にも放射線は飛んでいることを考えると、できるだけ線量を減らそうとする心がけを忘れてはならない、と思いました。
南相馬で自分が感じることは、多くありそして、改めて福島に関わっていかないといけない、と思い直しました。
今回かなり、重い話となりました。次回はこのツアーと同じ日に行われた相馬市のインドアパークについて楽しく書いていきます。よろしくお願いします。


一般社団法人 Bridge for Fukushima
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