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町のいま・むかし⑫「富岡出身大学生の声」

今回は、双葉郡8町村出身大学生の声を発信します。
1人目となる今回は、富岡町出身で東日本国際大学2年の新妻慎也さんです。

新妻慎也(2000年生まれ)
小学5年生の時に富岡町で震災を経験した。
福島県立ふたば未來学園高等学校で福祉を学び、卒業後は東日本国際大学に進学した。

筆者  慎也は、震災前まではずっと富岡に住んでいたんだよね?

慎也  そうだね、小学5年生の時に震災を経験するまでは富岡に住んでたよ。

筆者  そっか、ちなみに震災があったときはどこで何をしていたの?

慎也  小学校で授業を受けている最中だったかな。
    揺れが来て、机の下に潜ったんだけど結構落ち着いていたなあ。

筆者  そうだったんだ。その後はどうしたの?

慎也  家族が迎えに来てくれて家に帰ったけど、家の中には入らずにビニールハウスでご飯を食べて、余震が多かったから車中泊をしたよ。

筆者  その時はどんなことを思っていたか覚えてる?

慎也  その時はそんなに不安に感じてはいなかったと思うんだけど、12日になって避難するってなったときはどうなるんだろうっていう気持ちはあったかな。

 

②上郡山多目的集会所

慎也  この集会所が、震災の時は避難所になっていて、3月12日の朝にここに寄ったんだ。何人か避難している人もいて、ちょっとばたばたしてたかな。

筆者  そうだったんだ。震災前とかはここの集会所で何かしていたの?

慎也  クリスマス会とか地区の行事をここでやっていて、友達も近くに住んでいたからすごく楽しかったよ。

 

③スクールバス停留所

慎也  ここにちょっとした棒が立っていて、そこにスクールバスが迎えに来てくれたんだ。小学生の時は大きく感じていたけど、今思い返すとそんなに大きくなかったかも。

あと、バスのルート的に一番学校に近いから、朝は一番遅く来るし、最初にバスから降りて帰れたんだ。

筆者  それ、いいなあ。うらやましい。ここからだとどのくらいで学校まで行けるの?

慎也  あんまり覚えてないけど10分くらいじゃないかな。ただ、友達とおしゃべりに夢中になっていたからあっという間に感じてたと思う。

 

④富岡第一小学校
震災前は、富岡第一、第二小学校と第一、第二中学校がありました。
震災後町内では、富岡第一中学校の校舎で小学校と中学校が再開しています。
現在は夏祭りやえびす講市などの際に第一小学校の校庭が利用されています。

 

 

筆者  今までに何回かはこのあたりにも来てた?

慎也  自宅の方には行ってたけど、ここにはそんなに来ていなかったかな。

筆者  そうなんだ。来てみてどう?何か変わってる?

慎也  校庭に張ってあったネットが無くなってるし、よく見ると学校の周りも含めて結構変わっている気がする。

筆者  確かに家がなくなってたりとかいろいろ変わっているよね。

⑤旧エネルギー館(現 廃炉資料館)

筆者  慎也もエネ館によく来ていたの?

慎也  休日とかによく来てたよ。確か2階にあったゲームが好きでよくやっていたんだよね。

筆者  うんうん。楽しかったよね。

⑥富岡町文化交流センター学びの森
図書館やホール、研修室などが集まっている

 

筆者  慎也は将来のこと考えてる?

慎也  大学で福祉を勉強しているんだけど、それを仕事として将来生かしていきたいと考えてるよ。ただ、最初から福祉の仕事に就くか、別の仕事を経験してから福祉の仕事に就くかで迷っているかな。

筆者  そうなんだ、確かにどのタイミングで福祉の仕事に就くかっていうのは難しいよね。
ちなみに富岡で福祉とかの仕事をするつもりなの?

慎也  いや、特にそこは決めてないな。富岡で働きたいというよりも、自分がやりたいことを出来る場所で働きたいと思っているから、富岡で働くかもしれないし県外に行くかもしれない。

筆者  なるほどね。

慎也  その為にも大学での学びも含めて色々な知識や経験を得ていきたいね。

 

最後に・・・
こうして彼から話を聞くのは初めてだったので楽しみだったのですが、彼の考え方や経験をしっかりと知ることが出来ました。私と同じような考え方をしているところもあれば、まったく逆の考え方をしているところもあり私自身としても学びを得られた時間でした。


この事業は、当団体が福島県「令和元年度福島県避難者・帰還者心の復興事業」の助成金の交付を受けて行っています。


一般社団法人 Bridge for Fukushima
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