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【第3回:西村知真(にしむら かずま)須賀川市出身】

【第3回:西村知真(にしむら かずま)須賀川市出身】

第3回 BFF 高校生メンバーインタビューは安積高校 2 年生の西村知真さんです。
彼に、震災当時、そして現在の生活、彼にとってのBFFの存在について話を聞きました。

(写真:西村知真)

■今、高校 2 年生なので、震災当時は小学生ですよね。

はい、小学 6 年生でした。コミュニケーションが得意ではなくて、友達もあまりいない、教室の隅っこで一人で絵を描いているような子でした。 震災のときは、卒業式前だったので、卒業制作のための工作をしていて学校の3階に いました。工作をしていたら、揺れ始めて、何故か分からないのですが、無意識に走り出していました。
意識していなかったんですけれど、急に走りだして、すごい速さで 昇降口にでたんです。
何だか脊髄で反応していたのかと思うくらい、考える間もなく走 り出して、校庭に避難していました。

今思い返しても、本当にただ混乱していたと思います。テレビも見られるような状況じゃないし、当時、携帯も持っていなかったので、本当に 何が起こっているのか、分からなくて、こわいというより、混乱が勝ってしまっていて、訳が分からないという感じでした。あと すごく寒くて、3 月なのに何で、雪が降っているんだろうとも思いました。

本当に寒い日でしたよね。そのあとは、どうしたのですか。

家に帰りました。家には兄と母がいて、仕事にいっていた父もすぐ帰ってきたので、家族はすぐにそろいました。自分の部屋は2階にあったんですが、いつ揺れるか分からなくて危ないからということで、1階の和室とソファーにみんなで寝ていました。あと、家に帰ってからは、テレビが見られるので情報が入ってくるんですよね。
画面の中でみんなが「こわいこわい」と言っていて、親も「こわいこわい」と言っていて、揺れた時は、そこまで「こわい」という感覚はなかったんですけれど、それを聞いて 自分もこわくなったのを覚えています。

原発が爆発したというニュースが入ってきたときは、どのように思いましたか?

「あ、福島に原発があったんだ・・・」と思いました。そもそも原発自体が何なのかが、 あの時は分からなかったんです。ただ、それを知った親は、狂ったようにさらに「こわい」と言っているし、すごく危ないという報道もされていて、最初はそれを聞いて「本当にそんなにこわいの?」と不思議で仕方ありませんでした。
けれど、この人たちが言っているなら「こわい」ということで間 違いないから、矛盾を抱えながらも、「こわい」という気持ちでいましたね。
ただ、放射能漏れのニュースがあってからは、母方の祖父が農家なんですが、その祖父の知り合いの農家の方が自殺してしまって・・・それが自分にとって一番衝撃でした。人の人生を狂わせる放射能がこわくて、どうにかしたいけれど全く分からないから、不安で不安で仕方なかったです。

■あの瞬間は何が正しくて間違っているのか分からなくて、多くの人が不安を抱えていましたよね。そのような中、卒業式を迎えたのですか?

はい、図書室で卒業式を迎えました。
それで、中学校の入学式は在校生がいなくて、先生と保護者だけで時間を短縮して行いました。
そのあと、原発事故の影響は授業にも出てきて、体育の授業では夏でも長袖、長ズボンでマスク着用でした。また、屋外活動も制限されていましたね。 最初は、禁止だったんですが、除染作業が行われてからは、3時間ルールがあって、屋外に3時間しかいちゃだめですよってことになっていました。 自分ではどうすることも出来なかったので、仕方ないなと思っていました。

(2011 年 3 月 31 日、卒業式後。)

■その気持ちは、今はどうですか。

今は放射能への考え方が変わって、漠然とした不安はなくなりました。 2つの出来事で少しずつ変わっていったんですが、 その1つが中学2年生のときに行った、広島研修でした。 県内の各学校から代表の1名が選ばれて行くものなんですが、先生に推薦して頂いて行ってきました。行ってみたら、“復興”っていうものはすごく遠いものではなくて、住んでいる人1人1人が積み上げてきたものだというのが分かって、漠然だった“復興” の言葉がすっと頭に入ってきたんです。そのとき、まだ不安は抱えていたんですが、「自分にも何かできないかな」と思い始めました。
そんなとき、放射線の講演会が学校であって京都大学の教授の方が来てくれたんです。そこで僕はニュースで流れていた情報や今ある知識が本当に正しいのかを知ることが出来て、今までわけが分からなく不安だったことが、そこで解消されました。
「知ることで不安は消されるんじゃないかな」と、講演会を通して思いました。 その“知る”という簡単なことで人を救えるんだったら、自分でも何かできるんじゃないかなと思ったんです。この2つで随分、気持ちが変わりました。
それから中学3年生の秋に、本屋で原発事故についてまとめた「国会事故調 報告書」の本を見つけました。まだもやもやしていたので、「まず、読んでみよう」と思って買ったんです。読んでみたら、今までの原発のイメージではなくて、本当にありのままの真実というかメディアで報道されていない事実というものも分かって、さらに「知ることって大事だな」と思ったんですよ。

自分が知れて安心した情報やはっとした情報を誰かに伝えようと思ったのが、そのときでした。

■そして高校に入学をして、どのように発信していこうと思ったのですか。

兄(西村亮哉。「あいでみ」第 2 期生共同代表。)に BFF に誘われていったときに、「わかりやすいプロジェクト 国会事故調編」をやっている福島市の高校生と出会ったんです。
この「わかりやすいプロジェクト 国会事故調編」というのは、原発事故では何 が起こったのかとか、その原発事故の教訓は何なのかを、共有するための情報発信 や場づくりをするプロジェクトなんですが、そのときに「こんなことやろうとしているの か!」と思って、「まさに自分がやりたいことじゃん!」って思って、そこでまず発信しようと思いました。
そのときに色々な高校生と出会って、自分の見聞ややりたいことを広めるのって大事だなと思いましたね。

■色々な人にも会う機会も多いと思うけれど、影響を受けた人ってどなたでしょうか?

1人ではないんですけれど・・・しいて言うならやはり兄には影響を受けていると思いますね。
結構おそれてしまう自分とは違って、とかく兄は行動力があるので。(参考:兄である西村亮哉君が執筆している記事:http://www.rise-tohoku.jp/?p=8785)
それと大人の人は企画とか自分がしたいということを、明確にして具体化して人に伝える、理解してもらうプランをつくる方法を知っているので学んでいます。

「こうゆうことやりたいんですよ」というと、最初は「何をしたいかわからないよ」って言われるんですね、それでこうゆうふうにすると伝わりやすくなるといったアドバイスや、プレゼンテーションの仕方とかを BFF の加藤さんや福島復興ソーラー・アグリ体験交流の会の半谷さんにも教えてもらっていますね。
半谷さんには、風評被害払拭のために高校生が福島の農業の魅力を発信、生産者さんの思いを届ける「高校生が伝える ふくしま食べる通信」の活動でお世話になっています。

(ふくしま食べる通信“西村研究室”のコーナーのため撮影)

■そこで得たことで何が一番大きいですか。

以前より、自分のしてきた活動に自信が持てるようになって、自分の進んでいる道を 信じられるようになったところですかね。
BFF や「わかりやすいプロジェクト」、「ふくしま食べる通信」を通じて同じ志を持てる仲間と出会えて変わっていきました。今まで自分と似ている人がいなくて、「自分って異端なのかな」とあまり肯定的にとらえられなかったんですが、今関わっている場所は学校の外に何かしたいことがある珍 しい人の集まりと感じていて、それぞれが自分らしさを持っていて、僕も自分の信じる道を進んでいいんだなと思えました。

■西村君自身は、周りにどのような影響を与えていると思いますか。

高校に入ってからの自分の成長は、踏み出す勇気のいうものを与えてもらったからで きたものだと思っているんですね。実際に行動している人から与えてもらった「行動する勇気」を今度は与える側になっていると最近感じるようになりました。

例えば、学校の友達が僕が校外で色々と活動することで、「じゃあ俺もこういうことをやりたい」と言ってくれたり、最初は見向きもしなかった友達はだんだん自分の活動に 興味を持ってくれたりしています。

■自分の行動や発言が人にプラスの影響を与えているって嬉しいことですよね。

これから学校生活もますます楽しくなってくると思いますが、将来はどのように考えていますか。
進学を考えています。 京都大学に行って、物理を勉強したいなと思っています。教授になって、ノーベル賞を目指したいです。 その先は研究所をつくって、子供たちの教育の分野にも携わりたいと思っています。
最初は、どこかの研究所で働くとは思うんですけれど、そこから自分の研究を進めて、良い成果を出したら、自分の名義で研究所を設立して福島の子供達の教育に関われ たらいいなと思います。 研究者を育てるだけではなくて、哲学や倫理も好きなのでそうゆうことも教えていきたいなと思います。
社会に対しては、考えることから逃げない、自分を高めることに価値を見いだせる社会にしていきたいです。今は楽な方向に進む社会じゃないですか、それをどうにかして変えていきたい、少しでも一石を投じられたらいいなと思います。

(「ふくしま食べる通信」メンバーと)

■最後に、BFF とはどのような場所でしょうか。

自分の可能性を広げてくれる場所だと思います。 大人の方にも出会えるし、何より出会う高校生が凄いことをやっていたり、思いつかな いことをやっていたりして、すごく刺激をうけます。
その刺激を受けて、今後はジャンルにとらわれないで色々なことに挑戦していって、さらに可能性を広げていきたいです。
最近は“食”(「高校生が伝える ふくしま食べる通信」)を始めたので、色々な観点から 原発事故や震災にこれからも向き合っていきたいです。

一般社団法人 Bridge for Fukushima
[本部:高校生のためのコミュニティスペース palette]
〒960-8061 福島県福島市五月町2-22
TEL&FAX:024-502-7121
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