代表挨拶

代表挨拶

震災直後から活動を開始したBridge for Fukushima(以下BFF)は10年目を迎えることが出来ました。改めましてご支援をいただいている多くの皆様に御礼申し上げます。

一人の青年の話を通じて、BFFと福島の現在地をお話したいと思います。

彼が震災を体験したのは進級を控えた中学1年の春、大きな地震があった翌日には意味も分からないまま浪江町の家を出て避難生活が始まります。その後何度かの移転をして、福島市内の高校に進学。私たちが彼に出会ったのは、震災から3年目、高校2年生の時。彼は浪江町の復興に対しての当事者意識が非常に強く、自分一人だけでも浪江町を復興させるという熱い気持ちを持っていました、町の人たちそして外部の人たちを繋げるプラットフォームを創りたいと熱い思いをもって勉強会に参加をしました。3カ月ほどBFFの高校生向けコミュニティースペースでスタッフと共に徹底的に浪江町の課題と現状に対して分析ツールを使って深掘りし、BFFの活動に参加しながらのちに仲間になっていく他の高校生達の刺激を受け、2年生の終わりに自分のやれることを見つけて事業化をしました。それは、離れ離れになった自分と同じ浪江出身の高校生、未来の浪江町を語り、ジオラマを用いて表現するワークショップでした。浪江町役場さんの全面的な協力もいただきながら、素晴らしいプロジェクトを創り失敗を含め沢山の事を学びました。
その後都内の大学に進学をすると彼の活動範囲はさらに広がり、BFFが行った浪江町の未来を考えるデータブック事業では大学生ながら中心的な役割を果たしてくれたり、イギリスへの半年間の留学、日本を代表するソーシャル・ベンチャー企業でのインターン、東北に関わる若手リーダーのネットワークの企画・実施、など精力的に活動を続け、高校時代の友人と僕らもうらやむようなイタリア2週間の卒業旅行を終え、この春から9年ぶりに故郷浪江町に戻り社会人1年目をはじめました。早速この5月から、地域内の方々そして外から来られる方が交流できる場所を自分で企画して運営を始めています。7年間をかけて当時彼が課題と思っていたプラットフォームの第一歩を始めたのだと思います。

彼の周りには、私たち以外にも様々な大人が時には寄り添い、共に学び合い、時には見守り、時にはシビアに(私はこの担当が多いのだと思います)、成長しつづける彼のような若者を伴走するコミュニティーが創られました。そして彼の同世代は彼を自然と応援しつつ刺激されより社会をよくしようと考え、さらには彼をモデルに下の世代の高校生・大学生達は自分たちの出来ることを増やしていく、そんなコミュニティーも創られ始めた、復興の次のステージに向かっているのが福島の現在地であり、私たちはその一員であり続けたいと考えています。

ITを使った農業、次世代教育、実家の事業の拡大、防災、地域の名産作り、うなぎの養殖、海外交流、など様々な課題解決にチャレンジをする多くの若者、そして次々に彼らに続く若い人材が多数身近にいることに、10年目の福島、復興の出口を感じています。

次の私たちのチャレンジは、彼のような存在が当たり前の存在になるようなチャレンジです。今まで高校生としてBFFに関わり卒業した大学生や社会人などがメンターやサポーターとして関わる仕組み、また大人と高校生たちが本気で語り合える場の提供など私たちらしい新しい試みを加え、コロナの次時代に向け、今日より明日が、ちょっと良くなる社会を目指し、正解のない課題に対して挑む人材を創り続けていきたいと思います。

令和2年5月25日
一般社団法人 Bridge for Fukushima
代表 伴場賢一