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【インターンシップ体験記】2017年度春期・岡谷藍さん

岡谷藍さん Ai Okatani
参加当時:奈良女子大学 人間文化研究科博士前期課程 国際社会文化学専攻 2年
受入事業先:浪江町仮設商業店舗施設管理協議会「まち・なみ・まるしぇ」
期間:2018年2月19日~3月16日
課題:浪江町仮設商店街の入客数を現状の2倍に増やせ!

――浪江町は2017年3月に避難指示が解除されましたが、人口帰還率はまだ3%にとどまっています(2018年3月現在)。その浪江町で、仮設商店街の入客数を増やすという課題に挑みました。拠点は海鮮和食処「くろさか」。新メニューを開発したり、夜間営業を行ったりして、ひと月で22%の売り上げアップに成功しました。
春休みは1、2回生の参加が多い中、大学院卒業前のタイミングで参加してくれました。
学生最後の春休み、遊びに行く友だちも多かったし、いろんな使い方があるけど、私はインターンで必ず何か得られる確信がありました。結果、それ以上のものがあって、挫折も悩みもあった大学6年間の集大成になり、満足しています。

――それ以上のものって?
プロジェクトを通じて、浪江の人たちに喜んでもらえたことが一つ。それから人との出会いです。特にこの1年、就職活動を通して、これからどう生きていくか必死に考えてきました。でも結論は出なかった。それがここにきて、福島のために行動する人たち、同い年で頑張っている人たち、同じインターン生たちに出会えて大きく成長できました。地域の課題に向き合い、人をつなげる仕事をする人たちは、ほんとにかっこよかったです。

――本当に、集大成という言葉がぴったりですね。もともとはどんな理由で応募したんですか?
大学、大学院と、災害を研究してきました。地元が南海トラフ地震の発生予測地域で、災害を通じて災害地域の人が何を残したか、何を残せるかがテーマでした。大学院2年の夏休み、研究に行き詰っていた時に、福島でのフィールドワークに参加しました。いろんな話を聞いて感じたのは、外からボランティアが来る時期が過ぎた今の福島は、地元の人が踏ん張って盛り上げていく段階にあるということ。今ここでインターンに参加したら、自分の道が見つかる、後々それを活かせる、と思ったんです。

――浪江町仮設商店街を選んだのは?
京都でずっと、商店街を盛り上げるボランティアに参加してきたんです。それに浪江は行政や住民など、いろんな視点から物事を見られると助言され、貴重な経験になると思いました。夏に来たとき、くろさかさんでご飯も食べましたし(笑)。

――浪江に来たとき、どんな印象を持ちましたか?
正直に言うと、「人いっぱいいるなあ!」って。まるしぇにもあおた壮(一か月生活したシェアハウス)にも人は集まります。でも一歩出るとひと気がない。まるしぇもお昼を過ぎると人が来ない。町を歩いても、壊れたままの店舗や家がある。新しい幼稚園や集合住宅はあっても人がいない。不思議な感じです。新しい部分と手つかずの部分が同居している、みたいな。

――来るのに不安はありませんでしたか?
ありませんでした。普通に生活できると聞いていたので。それよりやる気のほうが大きかった。車がないと不便とか、若い人がいないとか、それはどこでも同じだと思うんです。浪江が違うのは、ここで何かしよう!と頑張る人が集まってくるところ。他のどこより浪江に行くほうが、おもしろい人に会えます。

――そんな浪江でのプロジェクトは、「浪江町仮設商店街の入客数を現状の2倍に増やせ!」でした。どんな活動でしたか。
最初は交流を図ったり、課題を探したり、連日連夜寝不足でした。1か月が短すぎることに気付いて、1週間目で少しモチベーションが下がりました。でも「絶対に何か残して帰る」という気持ちは、3人ともとても強かったです。
PR、商品開発、店舗営業とたくさん経験しましたが、やってきたことの反響は大きかったです。特に自分たちで考えた「海鮮にじいろだし茶漬け」。今でも土日に出していて、注文してくれた人をSNSで見るとすごくうれしい。自分たちのやってきたことが残るというのは、私たちにとってもお店にとってもすごく大事です。1か月でできる内容じゃなかったのに、3人一緒に頑張ったことが何より大きいと思います。

――どんなふうに、ほかのメンバーと頑張ってこられたんですか?
3人で役割が違って、提案して引っ張ってくれるのがきよちゃん(小嶋清美さん)、仮説・検証・データ整理をして土台を作るのがノブ(伊原昭伸さん)。私はフラットに入って、2人の力を最大限発揮させる調整役でした。年齢も背景も違うけど、それぞれ違う角度から引き出したものを一つにすると、出来上がるものはすごいし、「何かを残したい」という全員の思い入れがそれを支えていました。1、2年生からインターンに参加するって、本当にすごいなと尊敬します。

――3人で1か月、「ゲストハウスあおた壮」で共同生活しました。ここも浪江町の若い世代の方々が活動の拠点にしようと再建した場所。どんな毎日でしたか?
「初対面の人たちと1か月?」と最初は思ったけど、個室もあって適度な距離感で生活できました。でも1階のリビングにずっといましたけど(笑)。下にいたら誰かいて、休む時は一人。そのメリハリがよかったです。最終日、朝から会いに来てくれた人たちもいて、玄関先で手を振って、「またね」じゃなく「行ってらっしゃい」って送り出してくれて。その光景は今でも目に焼き付いています。

――この春からは社会人になったんですね。
テレビ制作会社に就職しました。浪江ではメディア取材も多く、マスコミ従事者の人たちと出会えたのもよかったです。被災地取材は住民から煙たがられることもある。テレビがしていることは本当に正しいのかな、って疑問だったけど、浪江取材の人たちは「ちゃんと伝えたい」という目線で接していました。浪江と今の仕事がつながっているのも、おもしろいなあと思います。

――今の生活で、インターンを経て変わったことはありますか?
Facebookをよく見るようになりました。福島で出会った人たちとのつながりをキープしたいから、みんなの更新も常に見るし、自分からの発信ももっとしたいです。浪江は外に向けて発信する人が多くて、SNSの効果を実感しました。

――これからもずっと、福島や浪江とつながっていけるといいですね。
愛着のある人、元気かなって思える人がいっぱいいるのが浪江町。あったかくて、これから盛り上げようという気持ちがとても強い町です。そんな気持ちを目の当たりにすると、1か月で終わり、なんて絶対に思わない。最後に岩手や宮城にも行く機会があったんですが、同年代の人たちが地域のために活動する姿を見て、なぜかすごくしっくり来たんです。今はこの仕事で全力を尽くすけど、必ずまたつながりが交わる時が来る予感がある。じっとしていられません。被災地を盛り上げようとする人たちがいて、ほかにもそんな人たちがたくさんいると思うと、ワクワクします。

――これからインターンを考えている人に、メッセージをお願いします。
私自身、人の間に立つという役割について、とても考えさせられた1か月でした。そういう役割は今までも割と多かったけど、今回もほかの2人が力を発揮できることを最優先に頑張りました。自分のマネジメント力が試された。そこは自分を認めてあげたいし、改めて客観視もできました。それが自分の役割なら、そこを伸ばそうという課題が見つかりました。
参加したら予想以上の喜びがあります。何も得ないわけがない。成長しないわけがない。行ったから断言できます。これからみなさんが行くかもしれない場所で暮らしている人たち、活動している人たち、素敵な人たちとたくさん出会ってほしいです。

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