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【ボランティアさんインタビュー①】久米さん

―震災時は何をされていましたか。

震災時は自宅にいました。突然強い揺れで、想像もしていないことが起きた。津波などこれまで経験したことのないことが起きて、泣いていました。

―BFFとの出会いを教えてください。

BFFと出会ったきっかけは、相馬でBFFが救援物資の配布を行っているところに私が貰いに行ったことでした。私が貰いに行った時はボランティアスタッフが不足しているようで忙しそうにしていたので、「自分も手伝いたい」と自然に申し出ちゃったんです。その日の手伝いを終えて、当時のBFFのスタッフの方に「毎日手伝いに来てもいいですか」と尋ねたところ、「ぜひ参加してください!」と快く言われたことを覚えています。それから今まで続けてきました。

―相馬基地でのボランティアをしていて何か感じたことはありますか。

私自身は相馬基地でボランティアに参加している時間は、自分が置かれている現状(自分は被災者であり、帰宅困難者であること)を忘れることができ、心の休まる時間で毎日があっという間に過ぎていった気がします。。相馬基地に来れば、BFFのスタッフやボランティアの方、物資を貰いに来る被災者の方々と出会う機会があり、みんなでご飯を食べる時間、雑談をしている時間などこれまで当たり前だった時間でさえもとても楽しく感じましたね。

 ―相馬基地のボランティア活動から浮船の里を立ち上げるまでどのような経緯があったか教えていただけますか。

避難先の福島市から相馬に引っ越しをして、相馬基地でしばらくボランティアをしていました。ある日BFFのスタッフから「久米さんはこれからどうするの」と聞かれ、「やっぱり故郷の小高に帰りたい」ということを話したところ、「小高にNPOを作って、住民が集まれる場所をつくったほうがいいよ」と言われたんですよね。そこからBFFの人達の手を借りながらNPO法人浮船の里を立ち上げました。

―相馬基地がなくなるわけですが、これからどうしていきたいですか。

私は浮船の里で活動していきます。今のところは現状維持で、新しい事業をしようとは思っていません。その理由は、自分と同じ想いの人がいないことやもともとの人数も少ないので、仮になにかしても個人への負担が大きくなってしまうからね。今はゆっくりとした時間の中でカイコ事業を行っていきたいですね。

 ―最後にBFFへの想いを教えてください。

BFFに対してはボランティアするきっかけを与えてくれたことが、私にとって心の支えになったと思っています。というのも、もしボランティアをしていなければ、放射能への不安や家に帰れないという想いに押しつぶされて精神状態もおかしくなっていたかもしれないからね。でも、毎日行く場所があったから今の元気な自分がいると思う。そういった意味でBFFには本当に感謝している。

 

一般社団法人 Bridge for Fukushima
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