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【ボランティアさんインタビュー②】渡辺さん

 

―震災時は何をされていましたか。

震災時は自宅にいました。かなり強い揺れだったので、慌てて家を飛び出したのを覚えています。2階の屋根も崩れ、家の中も食器などががじゃがじゃの状態で、、、。とりあえず屋根の応急処置をしようと思い、ホームセンターにブルーシートを買いに行ったのですがすでに売り切れていました。懐中電灯や電池なんかも売り切れでしたね。たまたま実家を訪ねるとブルーシートがあり、それを借りてきて屋根の応急処置をしました。夕方には家族も仕事を途中にして帰ってきたので、みんなで家の中を片付けました。宮城県沖地震の時も強い揺れを感じたが、その時とは比べ物にならないほどの揺れでしたね。ライフラインも止まっていたので、津波の情報もわからなかったです。夕方になって新地が津波でなくなったと聞いてすごく驚きました。

―BFFとの出会いを教えてください。

BFFとの出会いは被災者に救援物資を配布していることを久米さんから聞いて、貰いに行ったことがきっかけでした。その時に「物資配布のボランティアをしてみないか」と誘われました。最初は戸惑いましたよ。ボランティアという言葉は知っていたけど、実際にやるのは初めてでしたからね(笑)自分も農家はやっていたが、基本的に家から出ることもほとんどなく、時間をもてあましていたので、「よしっ、やるか!」ということになったんですよ。当時は毎日物資の配布があったので、BFFの人達とほぼ毎日参加していました。

―震災当初の物資配布はどうでしたか。

最初のころはボランティアの人数もたくさんいて、どこからこんなに湧いてきたんだという感じでした(笑)待ち時間も40分以上の日もあり、整理券を配って対応していた時もありました。物資を貰いに来る被災者の方々からは「助かっています」「ありがとうございます」と感謝の言葉をたくさんもらい、とてもやりがいがありましたね。今ではそういう声をかけてくれる人はほとんどいないですけどね、、、。

―物資配布をしていて、震災当初と現在ではどのような変化を感じますか。

震災当初は感謝の言葉をたくさんいただいたが、相馬基地に移ってから1年くらい経ったときにはほとんどそういう声は聞かなくなりましたね。貰えることが当たり前になってきているからね。相馬基地以外にも物資配布をしているところがあり、何度か貰いに行ったことがあったんです。その時に貰う側が好き勝手なことをいう場面を何度か見て、どうしても自分はボランティアをしている側に立ってみてしまうから嫌な部分がたくさん見えてしまうこともあったね。相馬基地でアンケートを行った時も、「もう少し賞味期限が長いものがほしい」と書かれていたことがあって、疑問を感じることもあった。危機感は時間とともに薄れていくものだから仕方がない部分もあるが、今どのくらいの人が本当に困っているのかは疑問ですね。

―相馬基地でのボランティアが終ってしまうわけですが、今後やりたいことはありますか。

60歳を過ぎるとなかなか求人がないので、厳しい部分はありますね。除染の仕事はたくさんあるみたいだが、気管支炎があるのでなかなか手は出しにくい部分はあります。なのでシルバー人材センターに登録しようかなとも思っています。

 ―今後こういうボランティアに誘われた場合、参加するつもりはありますか。

もちろんありますよ。色々な人と交流できるので、自分も楽しみながらお手伝いできますからね。学生さんやNPO団体の方も出入りしていたので、そういった人たちの話を聴けるという意味でも参加したいとは思っています。

―今後BFFに期待することがあれば教えてください。

震災から3年が経ったわけですが、その場その時のニーズに合った支援をしていただきたいと思います。相馬基地も当初のニーズからだいぶ変わったから、今回閉める形になったと思うので。それからボランティアの中でもGive&Takeが大事だと思いました。そういった事業をBFFさんには期待したいですね

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